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あなたの脳卒中ストーリーを教えてください!

公開·3名のメンバー

脳が壊れたー 高次脳機能障害 (角田幸一)

「何やってんだろう、俺」


おかしな自分が分かるから、つらい。 脳卒中で入院、退院してからそんなことが何回かあった。


「いや、ただの見落とし、忘れ物、不注意だっただけだ」 と自分を慰めていた。


周りの人が何を言っているかもわかる。また、怒ることもできる。自分ではちゃんとしているつもりだ。


でもイライラする。呆れる。凹んでしまう。


高次脳機能障害という言葉を聞いたのは、ケアマネージャーさんと面談した時だった。きっとそれ以前に病院でも聞いていたと思うのだが記憶にない。


「脳にダメージを受けて意識障害、遂行機能障害、認知障害、考えること、記憶すること、注意すること疎かになってしまったので自宅で静養して、生活の中でゆっくりのんびり、リハビリして、治していきましょう」と、言われた。


そして訪問介護のリハビリのパンフレットを見せてくれた。 それには、お年寄りがベットにいる姿が沢山写っていた。


外出用には電動車椅子をレンタルすることになった。それとデイサービスに行くことを勧められた。


介護保険とか介助とか、なんだか急に自分が年寄り扱いされているように感じた。もう老後、余生なのかと思わされるような会話や言葉ばかりで、気持ちも凹んでしまった。


「俺はまだ五十三歳だぜ~」 と思ったが、受け入れるしかなかった。


脳の損傷によって起きる様々なことで不安に陥ることもある。

リハビリ病院では、遂行機能障害があるので、当面の間は自動車の運転は控えるようにと言われた。


私は毎日車の運転をしていたので、車のない生活は、考えられなかった。


「畜生、畜生、チキショー」と思った。


私の気持ちを察した妻が、「試験場に言って適性検査を受けてみたら」と勧めてくれたので早速調べた。そして江東区の運転免許試験場で行われることを知った私は勇躍してそこに向かった。


運転席の前にモニター画面のついている仮の自動車に乗って、注意力・判断力のテストを受ける。ハンドル操作は右手だけで難なくできた。


結果はギリギリ合格という判定だった。 待合室で待つこと三十分、運転免許証が再交付されホッとした。とてもうれしかった。


妻のサポートのおかげだと大変感謝した。しかし脳卒中の経験から、「できたら運転はやめたほうがいいよ」と言われていたので運転はしなかった。



ただ一度だけ例外がある。母親を病院まで車で送らなければならなかった時のことだ。


運転そのものは特に問題なく済んだが、車から降りるとき、キーを落と

してしまった。それを拾おうと思ったのだが見当たらない。


再度注視してみると、左の足下にあった。 私は心に衝撃を受けた。


「麻痺している左側に気がつかないんだ」


注意力の低下、見落としがあることを認めるしかなかった。 それ以降、車の運転を一切やめた。


その三年後の誕生日に免許更新があって、最寄りの警察署で再び合格は、した。しかし今はもう免許返納を考えている。


無論六十二歳で返納することは忸怩たる思いがするが、何かあってからでは遅いのである。


脳へのダメージはそれだけではなかった。


銀行のATMにカードや通帳を忘れてくることがあった。その時は気づかず、次の日に銀行から電話があってわかった。大ごとに至らずによかったが、度重なるミスに深く考え込むこともあった。


そう、高次脳機能障害の本当の辛さがここにある。

自分で自分が嫌になるのだ。


失敗したことはわかる、人がなんと言っているかも、わかる。でも失敗があると呆れるし凹む。特に少し前の記憶が消えてゆくように思う。逆に昔々のことは覚えているように思う。


自分で言うのはおこがましいが、私は「記憶の人」である。 「大切にしているものは」と尋ねられたら「思い出です」と答える。


少年のころの楽しかった遊び、大人になっても続けた野球、覚えたゴルフ、自分の子供達と一緒に遊んだ思い出は、すべて黄金に輝く宝物である。


私の五十年の人生が、むざむざと消えてたまるものかと思う。

新聞で見つけた記事にこんな事が書いてあった。

「昔々の写真を見て、思い出を回想することは脳の活性化に良い」

私は、思い出し効果で高次脳機能障害を乗り越えていきたいと思う。


生きてきた証を思い出すこと。それは誰にでもできると思う。ノートに書き出すことも良いと思う。


図書館には毎日通っている。そこで繰り返し読んでは文章を書く習慣を身につけた。エッセイの同人誌に投稿するようにもなった。書くことが楽しくなり、毎日続けている。


私たちのような高次脳機能障害者でも、学習し続ければ、脳はなんとかなると今は思う。


脳卒中の方々よ、強くあれ!


人生百年時代、まだまだ勉強、学習しよう。


ドアは、自分で叩いて次の世界へ、それはもう一度歩き出すために、 いつか笑って言える日のために。



(※今回の脳卒中ストーリーは、50代のときに脳出血を経験した方からの寄稿になります。この場を借りて、角田さんにお礼申し上げます。)

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